2017.12.15 UP DATE

第6回:音楽療法士 下川英子さん(1)音楽療法のお仕事、その現場とは?

「音楽療法」という言葉をご存知でしょうか。音楽のもつ力を活用して、人の成長を促したり、問題や障がいを軽減させて良くしようとする行ないです。「音楽療法士」として仕事に従事する人々は、日本中の児童施設、高齢者施設、病院などを現場として、赤ちゃんから高齢者まで、さまざまな人を対象にセッションを行なっています。
セッションは、歌や楽器を使って実際に音楽療法が行なわれる現場。療法を受ける個人またはグループが、療法士と音楽を通じてコミュニケーションをはかります。療法を受ける人の反応を見ながら、療法士はそのとき、その場で、より効果的なセッションを即興的に繰り広げていきます。その方法も、そして効果も、関わる人の数だけ、セッションの数だけ生まれます。
今回登場する音楽療法士の下川英子さんは、埼玉、東京を中心に活動されています。対象としているのは、重症心身障がい、発達障がい、肢体不自由、知的障がいなどを抱えた子どもたち。下川さんのお仕事について、また音楽療法に携わることになった経緯についてお伺いました。そこには驚きの人生ドラマが……!

 

取材・文:飯田有抄/撮影:編集部

 

下川英子さんプロフィール

 

 

目次(2017年12月15日公開)

 


 

■音楽療法の現場

 

――下川さんは埼玉療育園など、障がいを抱えた子どもたちをケアする療育センターや保育園などを中心に、日々セッションをされています。どんなお子さんに、どんな音楽療法をなさっているか、少し具体的に教えてもらえますか?

 

 

下川 私のところには重度の障がいを抱えた子どもたちがやって来ます。埼玉療育園では、リハビリテーション科なので医師のもとでセッションを進めます。例えば、急性脳症の後遺症があるお子さんや、発達障がいのお子さんは、人とのコミュニケーションが取れなかったり、言葉を発せられなかったりする方もあります。医師の処方箋に基づいて、私はどんなセッションによって、その子のコミュニケーションに対する関心や力を引き出せるかを考えます。

 

――お医者さんと連携されておられるのですね。

 

下川 はい。幸いにも私の場合は、音楽療法に理解のあるドクターたちとの連携が図れています。

 

 

 ある12歳の急性脳症後遺症の男の子は何も話すことができず、楽器にも興味を示しませんでした。でも、足踏みで音を鳴らすことに気づきました。そこで、その子の足音に合わせて、私がピアノで和音を弾いていました。言葉の代わりに音を介在させるのです。やがてその子は自分の足踏みに合わせて、私が音を出していることに気がつきました。他人とのコミュニケーションを認識することができたのです。その後1台のピアノを弾きあったり、タンバリンでやりとりをしたりするうちに、ボディサインがたくさん出るようになりました。それが彼の言葉だったと思います。

 

 11歳の発達障がいの男の子は、お母さんとゆっくり向き合うこともできませんでした。ある日のセッションで、その子が鳴らすラッパ(クワイヤーホーン)に合わせて、お母さんにも5度違う音のラッパを吹いてもらいました。私はその音に合わせ、邪魔しないように即興でピアノを入れていきます。男の子とお母さんの音のやりとりは止まらず、なんと22分間も続いたのです! お母さんは、我が子とそんなに長く落ち着いて向き合えたのは初めてだったそうです。それからしばらくして、言葉がぽつぽつ出始めました。単語ではなく2語文も出ました! 「ピザ買って」と。

 

――最初から2語文! すごいことですね。

 

 

下川 そうです。子どもたちの中には、たくさんのものが詰まっています。子どもからの発信を見逃さず、音楽のフレキシブルな面を活用しながら、その子の伝えたいと思う気持ち=コミュニケーションの力を引き出すのです。

 

――身体的な障がいについては、いかがでしょうか。

 

下川 私がライフワークとしているレット症候群のお子さんは、タイプもさまざまですが、多くの場合で言葉を発さず、手を揉むような常同運動があるため、物を掴んだり持ち続けることに不自由を抱えています。でも、目の動きや表情などから、その子が好きな楽器、好きな歌を読み取ることはできます。中身が見える透明のマラカスや手のサイズに合わせたマレット、市販のキーボードを改造して作る7色キーボードなど、手作りの楽器を用いてその子の関心を引き出し、微細な力を生かす工夫をすると、自らマレットを把握したり、楽器を鳴らすという操作が少しずつできるようになっていくんですよ。何年もかかりますけれど……。

 

 その子その子によって、好きな曲、嫌いな曲、お気に入りの楽器などがちゃんとあるので、セッションでは微細な反応もちゃんと捉えていくことが大事です。

 

 


▼ この日は、小さな頃から下川さんのもとに通われているレット症候群の田中花歩さんのセッションを拝見!

 

お母さんと一緒にセッションが展開していく。
やさしい波のような音がするオーシャンドラムは、花歩さんお気に入りのキラキラ光る楽器。
下川さんの優しい弾き歌いに合わせてお母さんは水平に持つだけ。
花歩さんは自分の手で押さなければビーズは動かない。
スイッチが入ってくると、自分でどんどん押してビーズの動きや音を楽しむ。

 

マレットを持ち、そのまま把持を続け、
太鼓やエナジーチャイムを鳴らす花歩さん。
花歩さんの視線や手の動きをよく見て、楽器の位置や向きを合わせていく。

 

色とりどりのボタンによる7音キーボード。下川さんのお手製だ。
もとは筋ジストロフィーの患者さんのために作ったスイッチキーボード。
下川さんは手作り講習会なども行なっている。
花歩さんが手を置いた『ミ』や『ファ』の音に合わせ、
下川さんは穏やかで美しいハーモニーをつけ、『花歩ちゃんといっしょ』と即興で歌う。
マラカスやマレットの柄なども、持ちやすく滑らないように工夫している。

 

「たのしいね」やクリスマスシーズンらしく「赤鼻のトナカイ」などを、
下川さんが優しい歌声で弾き歌いし、最後は澄んだベルの音を鳴らしながら
「さようなら」の歌で、静かに穏やかに終える。
花歩ちゃんは、じっと集中して聴いたり、楽器を演奏して反応を示す。

 


 

――お子さんのちょっとした仕草や視線などから、その子の求めていることや、できそうなことを見逃さない。そして音楽や楽器を即興的に使って、さらに力を引き出してあげる。下川さんのセッションでは、その場ではとても優しい時間が流れているのに、すごいことがなされていますね!

 

下川 何年経っても難しいです! ピアノが上手に弾ける先生でも、即興は難しいかもしれません。でも、音楽療法には「これが正しいやり方」と言えるようなものがないんです。そのとき、その場の反応に対応していくことが大切なので。でも、じゃあどういう場面で即興を使ったらいいかとか、そういうことが書かれた本もありませんしね。

 

――でも、下川さんは2009年に『音楽療法・音あそび』という本を書かれ、セッションで使える歌の伴奏がついた楽譜、その歌に合わせて行える遊びをまとめておられます。それまでこういった本が何もなかったと思うと、多くの療法士の方にとって頼れる教科書となったのではないでしょうか。

 

下川 ああ、確かにその本は、ボロボロになるまで使い込んだ方とお会いすることがあるので、とてもありがたいですね。でも、その本は保育園児や軽症の子ども向けなのです。今後、もっと重症の方のために少しでも役に立つことを残したいです。

 

下川さんの著書『音楽療法・音あそび』と、『心ふれあう セッション ネタ帳 For Kids』。

 

 

■音楽療法の「効果」

 

――音楽の響きや、カラフルな楽器などが刺激となって、障がいを抱えたお子さんにできなかったことができるようになるというのは、素晴らしいことですね。

 

下川 障がいを「治せる」わけではないので、少しでも軽減させることができればと思っています。でも、私一人の音楽療法の力で良くなったとは絶対に思わないようにしています。お母様たち、保育士さん、支援学校の先生たち、理学療法士や作業療法士、言語聴覚療法士やドクターたちなど多くの人が関わり合って、その子自身の力で成長していかれます。私はその一端をちょっと手伝っているだけです。

 

 

――とはいえ、音楽療法の力をもっともっと世の中に認知させて、たとえば、国からのサポートをこの分野に厚くしてほしいといった動きもありますよね。この分野の情報誌などには、そのための「科学的エビデンス」(根拠)が課題だというようなドキュメントが散見されます。

 

下川 国に認めてもらうためには、やはり科学的エビデンスはどうしても必要になります。どういう尺度で、どんなエビデンスを積み重ねていくかというと、私の場合はレット症候群に常同運動があることから、物を持つ時間の増加をグラフで出せるようにしています。先天性多発性関節拘縮症については、東京電機大学の先生と動作解析の方法をアレンジしています。発達障がいの場合は、発達スケールがいろいろとありますね。私が重症の子の療法をやりたいというのは、実はエビデンスを数量的に出しやすいというのもあるのかもしれません。

 

 でも、音楽の一番いいところって、そんなに数字で表せないところだったりするので、なかなか難しいけれど。

 

――そうですよね……。ふわっとしたところが音楽のいいところ。でも療法が魔術みたいに捉えられても困りますね。

 

 

下川 音楽の効果については、最近では脳科学の分野で随分いろいろなことがわかるようになってきました。音楽を聴いただけでも、いろいろなホルモンに影響が出るということは、多くの論文に書かれています。

 

 私も長野県のドクターの研究に加えていただいたことがありますが、高齢者5人をピックアップして、セッションを行なう前に血液を採取。セッションが終わってまた採取して、信州大学に検体を持っていき調べるというものでした。すると、免疫力を高めるNK細胞が有意に増えたんです! でも、被験者の中でただ一人だけ、減った人がいました。私なんです(笑)。セッションでいかにエネルギーを使って疲れたか。この結果には笑ってしまいました。

 

 

 

▼ 取材当日に下川さんのご自宅で行なわれた、レット症候群のクライエント田中花歩ちゃんとのセッションのダイジェスト動画

 

 

 


 

 プロフィール 

 

下川 英子 しもかわ・えいこ

 

東京都世田谷区生まれ。東京藝術大学作曲科大学院修了後、
ラジオやテレビ番組の編曲、ハープや筝曲、雅楽などの作品を発表。
卒業後20年を経て音楽療法の専門学校に通い、日本音楽療法学会認定音楽療法士となる。
病院や療育施設の音楽療法を続けるかたわら、保育園において
音楽療法の視点を生かした音楽表現活動を続ける。
勤務先は埼玉療育園リハビリテーション科、さいたま市療育センター東京家政大学など。
共著『音楽療法・レッスン・授業のためのネタ帳
心ふれあう セッション ネタ帳 For Kid』、
著書『音楽療法・音あそび 統合保育・教育現場に生かす』(いずれも音楽之友社)。

 

 

左から著書『音楽療法・音あそび 統合保育・教育現場に生かす』、
共著『音楽療法・レッスン・授業のためのネタ帳』『心ふれあう セッション ネタ帳 For Kid』、
勤務先の埼玉療育園の活動が特集された「the ミュージックセラピー」vol.06。
すべて音楽之友社刊。

 

セッションに使用する楽器は、市販の楽器やおもちゃを探したり、
クライエントに合わせて工夫して手づくりしたりと、常により良いものは何か考えている。
写真左は、スネアドラムの響き線の幅の広いもの。手触りが気持ちよくて人気。
右は、微細な力で音が出る電子ドラム。

 

 

 

 

 

 

 

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