2017.9.20 UP DATE

第3回:カメラマン 武藤章さん(3)歴史を切り取るカメラマンの目

カメラマンとして独立開業して20年。アーティストの写真を数多く手がけることになった武藤さんの、カメラマンとしての喜びとは?

 

取材・文:飯田有抄/写真:編集部

 

 


 

■仕事の依頼待ち1年

 

――武藤さんは、師匠である白鳥真太郎さんのもとでアシスタントを勤めていた「最高に素晴らしい5年」にピリオドを打ち、独立されたのですよね。きっかけは何だったのですか?

 

武藤 APA日本広告写真家協会のビエンナーレ展で部門賞を受賞したことですね。入賞したので一区切りかな、と。師匠にも気持ちを伝えて独立しました。

 

――どんな作品で入賞を果たしたのですか?

 

武藤 タイトルは「1994年2月14日」。師匠と仕事でロンドンに行ったとき、オフの時間に街を歩き回って、当時大好きだったロンドンの公園や彫像などを撮りまくった。ストレートに、特に何の作り込みもしていないモノクロの写真です。

 

4枚組で出展した作品「1994年2月14日」。

 

 当時はカメラの世界にデジタルの波が押し寄せていて、写真も一枚で何かを語る時代は終わりだと言われていた。みんな写真を切り貼りして立体的な作品を作ったり、凝った色合いを出したりしてた。そんな作り込みの激しい作品の中で、もろ直球の僕の作品が評価されたんですね。それが良かったみたい。そういう人は他にいなかったから。

 

――そして独立。

 

武藤 そうです。独立したはいいけれど、案の定、仕事は来ない。山一証券破綻の1997年、景気低迷の時代です。そんなご時世に僕に仕事なんて来るのだろうかと思っていたら、やっぱり来ない。当時は携帯電話なんてないから、1日中電話機の前で仕事の依頼を待っていたけど、鳴らない。来る日も来る日も「今日も1日電話は鳴りませんでした」っていう電話の観察日記が書けそうなくらいだった(笑)。そんな月日が1年も続いた。

 

 

――1年も! ひたすら待っていたんですか? 電話が鳴るのを。

 

武藤 いえ、実は、師匠と出張してたまっていたマイレージを使って、ヨーロッパに2往復していました。

 

――なんと!

 

 

武藤 お金がなくて、どん底状態なのにね。はたから見たら華やかだったかも。師匠について世界中あちこち行かせてもらいましたが、まだウィーンは行ったことがなかったので観光してきました(笑)。オペラを見たり、バレエを見たり。

 

――優雅に聞こえます(笑)。

 

武藤 向こうはフラっと歌劇場に行って、一番上の桟敷席でオペラを聴くことができますよね。予定を入れていなかった夜に桟敷席に行ってみたら、案の定ステージの上なんて何も見えない。

 

 で、ふと横をみたら、お年寄りが地面に座って、じっと音だけ聴いている。反対側を見ると、若者が薄暗い中で一筋の明かりを頼りに、スコアを食いつくように見ながら聴いている。で、アリアのシーンになると、さっきまで床でじっとしていたおじいさんが、ムクッと立ち上がって聴き始め、ウワーッと拍手をして、終わるとまた、座り込んでじっとしていた。

 

 それを見て、僕は彼らの表情を写真に収めたいと思った。真剣な若者の表情。アリアのときだけ急に立ち上がるおじいさんの表情。でも、現実的には撮れないですよね。撮りたいけど撮れない。すごく印象に残る1コマだったのに。

 

 

 こういう話って、ふだん人に話す機会もないので、今初めて話しました。突然話したら、ただウィーンに行ってきた自慢話みたいになっちゃうから。

 

――素敵なエピソードです。本当は、芸術と関わる人々の日常の中の、ふとした瞬間にこそ、武藤さんが切り取りたいシーンがあるのだな、と思いました。

 

武藤 そんな経験をして、日本に帰ってきたらお仕事が来ました。

 

――おお、よかったですね! どんなお仕事ですか?

 

武藤 じつは、師匠がポートレートを撮りたいとおっしゃっていたので、だれか芸術家をご紹介しようと思ったのです。それで、ピアニストの三舩優子さんにお声がけをしました。ヤマハのフリーペーパー「ピアノの本」の撮影でつながりがあったのです。三舩さんにご連絡したところ「武藤さん撮ってください」と。いえいえ師匠にご紹介したくて……とお話をしたんですが、「武藤さん撮ってください」と。それで撮らせてもらったお写真が、三舩さんの事務所でも評判になったようです。そのおかげで、今のアーティスト写真を撮るお仕事へとつながっていきました。

 

――きっと「ピアノの本」での撮影の印象が良かったのでしょうね。

 

武藤 そう信じたいですね。でも、あとで聞いた話だと、当時まだ三舩さんのお子さんが小さくて、打ち合わせの現場で、僕が相手だとお子さんが泣かなかったんですって。そこがポイントだったかも(笑)。お子様の見る目にかなった。

 

 

 

■今いちばん輝いている幸せな人に会える、幸せな職業

 

――今はお忙しい日々を送っていらっしゃる武藤さんですが、このお仕事をされる中で、どんなところに幸せを感じますか?

 

武藤 今いちばん輝いている幸せな人に会えることが、僕の幸せです。CDのジャケット写真を撮るにしても、コンサート・ツアーを前に新しいアーティスト写真を撮るにしても、写真を必要とするその人がいちばん「よし! やるぞ」と気持ちが高まっているときじゃないですか。人様の幸せと共にあれる、幸せな職業です。

 

 そして、この仕事をしていて面白いのは、歴史に参加している感じを得られるところ。たとえば今、ホロヴィッツやリヒテルの写真を撮りたいと思っても不可能ですよね。一方で、50年後に出てくる未来の素晴らしいピア二ストの写真も僕には撮れない。だからこそ、今輝いている人たちを大切に撮りたいと思える。

 

 ホロヴィッツの歴史にも、来るべき未来の歴史にも参加できないけれど、でも、いつか「三舩優子さんを撮った人がいるんだ」と次世代が思ってくれる。今の人の歴史は、今僕が撮る。そこに、この仕事の面白さを感じますね。

 

 

 

■「作品撮り」をするならニューヨーク!

 

――武藤さんが将来、作品を撮ったり、個展を開くとしたら、どんなものを撮りたいですか?

 

武藤 大好きなニューヨークの撮影かな。人物よりも、都会の風景。ニューヨークには秩序があるけれど、実はカオスもある。ツインタワーがなくなって、それがショックで、一時期ニューヨークに行けなくなったりもした。仕事で出かけても、怖くて南の空を見上げられなかった。でも、ミュージカル「キャッツ」のブロードウェイ再演のニュースのおかげで、またニューヨークに対する思いが再燃してきました。

 

――それで、帽子にもバッジが!

 

 

武藤 あーこれ自分で作ったんです。去年、独立して20年目にして初めて、「休む!」と決めて、5日間ニューヨークに行って来ました。休みをとるのは勇気が要りますが、また行くつもり。

 

 僕の中では歴史の捉え方に断層があって、写真の生まれる前と後とで見方が違います。人が写真という記録媒体を持った前後で考えてみても、アメリカの歴史、ニューヨークという都市はものすごく面白い。

 

 ただ、僕が撮りたいニューヨークの風景というのは、もう今ないんですよね。かつてファイブ・ポインツという落書きの名所があったんですが、再開発で、もうこの世にない。撮りたい世界がどんどんなくなってしまうので、今あるものを作品としても撮っておくべきかもしれない。

 

 1910年代から流行したニューヨークのアール・デコも大好きで、今も街の建築などのあちこちに息づいている。新しいビルが生まれても、アール・デコのDNAがあるというか。そろそろアール・デコが生まれて100年。リバイバルの波が来る頃かなぁと思っています。

 

――いつか武藤さんの「作品」も拝見したいです。

 

 

武藤 作品としての写真は、僕が今評価をもらっているようなアーティスト写真とはまるで違う。アー写は「写真の表現」とはまったく関係ありません。写っている人が偉いのであって、僕が偉いわけじゃない。

 

 作品としての写真の良し悪しは、「写真で何を語っているか」にあります。大学時代に大変お世話になった故・澤本玲子先生がいつも「目の前のものにパッと食い付いて吐き出すだけなら、誰にだってできる。そんな写真を撮っても仕方がないだろう」とおっしゃっていました。今のInstagramなんかがなかった時代の話です。学生だった僕には、綺麗な風景を綺麗に撮って、どこが悪いのかわからなかった。僕がロンドンの写真を撮ったときにも、「なぜあなたはそれを撮ったの? あなたは何を伝えたいの? そういうところですよ」と、玲子先生からは厳しい言葉をいただいて、卒業してからも多くを教えられました。その先生の言葉を胸に、いつかは作品撮りもしてみたいですね。

 

澤本玲子先生の作品を手に、武藤さんのスタジオにて。

 

 

 

イラスト:飯田有抄

 

▼ 動画:武藤さんが考える写真×音楽の企画。

 

(第3回 おわり)

 

 

 

 

 

 

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