2017.9.20 UP DATE

第3回:カメラマン 武藤章さん(2)「本当にやりたい仕事」への回路

音楽家の輝くようなアーティスト写真やジャケット写真などを手がける武藤さん。日大芸術学部の写真学科に、カメラを触ったことのないまま入学してしまいました。その後の展開は?

 

取材・文:飯田有抄/写真:編集部

 

 


 

■どうせ一生やることなら、今はやらない

 

――大学1年の夏休みのカメラ売りのバイト代で買ったカメラは、どんなカメラだったんですか?

 

武藤 ニコンFEという35mmの最高級機の2つ下、入門レベルのカメラです。それまで実習ではシノゴばっかりでしたが。

 

 

――しのご?

 

武藤 あ、4inch×5inchのカメラです。「4×5」って書いて「シノゴ」って読みます。8×10は「エイト・バイ・テン」、略してバイテンなんて呼びます。5×7は「ゴー・ナナ」、そしてなぜか35mmは「35ミリ」。古い人だったら「ライカ判」って言うかもしれない。ライカが作った規格なので。全部フィルムの大きさです。

 

――へぇ! 面白いですね。そういう用語も学科では飛び交っていたんですか。

 

武藤 飛び交っていたんでしょうね。最初は、4×5で四角いものをきちんと四角く写すとか、格子状の模様をきちんと歪ませずに写すとか、台形のものを写す角度を変えることで真四角に写すとか、建築写真の基礎を徹底的にやりましたね。今はそんなのコンピューターでピーッとできてしまうけど(笑)。もちろん、今でも建築写真を専門にやっている人は、コンピューターなんて使わないと思いますけどね。僕は今ならボタン一発(笑)!

 

 

――でも、基礎を徹底して実践するって、さすが写真学科ですね。カメラを手にされてからは撮影の毎日ですか?

 

武藤 いえ、自分は将来ずっと写真をどうせやっていくんだから、今は真面目に写真やらなくてもいいな、と思ってました。

 

――え……変わった思考回路……ですね(笑)。将来やっていくのだから、真面目に勉強しよう、なんて思いそうですけど。

 

 

武藤 日芸はせっかく映画・放送・美術・音楽・文芸・演劇の学科もあるんだから、写真だけ勉強するなんて、もったいないじゃないですか。専門学校じゃないんだし。日芸に入った以上は他の学科ものぞいてやろうと思って、単位にはならなかったけれど、映画や放送の学科の授業にも出たりしました。それから部活動でやったのは、ミュージカル研究会。

 

――武藤さん、ミュージカルやってらしたんですか!?

 

武藤 いや、やってたというより、必死に裏方として付いていった感じですね。踊りも歌も、音楽学科の人たちがいたから、みんなすぐにプロになれるんじゃないかっていうくらい、とんでもなく上手かった。

 

 とにかく大学は、みんなの才能をひたすら「スゴイな」と見るところでしたね。僕でもできると思った写真も、よく知らないで飛び込んだから、僕がわからない写真をみんなが絶賛していたり、自分の写真が評価されない理由がわからなかったりした。結局、大学というところは、自分はいかに才能がないかってことを思い知らされるところですねぇ!

 

タップも好きです。映画「ウエスト・サイド物語」に出演した
ジョージ・チャキリスにサインをもらった
大木のタップシューズ。

 

――え、でも、自分には写真向いていないから、やめちゃおうかな……とはならなかったんですよね?

 

武藤 そうなんですよ(即答)。だって、他に何にもできないんですから。 写真ができなかったら、本当に何もないんだから!

 

好きなことならいっぱいありましたよ。でもどんなに演劇が好きでも、僕は俳優に絶対向いていない。いくら発声練習したって、向いてないのを乗り越えられる未来は見えなかった。

 

 でも、写真でやっていくって決めていたから、学生時代くらい写真漬けの毎日を送るのはイヤで、いろいろやった。

 

――ええと……どうして写真に関しては「どうせやる」って思えたんですかね? 「写真でやっていく」と決心した、その決め手とは?

 

武藤 他に何もできないから(笑)。

 

 

 

 

■カメラは「いいな」から「ダメだ」になるもの

 

――なんというか、すごく筋が通っています(汗)。

 

武藤 僕はスポーツもできないから、ボクシングをやっても絶対に相手に勝てない。でも、ガンダムのモビルスーツで戦ったら、勝てるかもと思うじゃないですか。カメラの力を使えば、僕でも表現というのができるかもしれないと思った。いろんな人がいろんな表現を実践しているのを見て、僕は本当に自分はダメだなぁと思っていたけれど、写真ならやっぱりできそうだ、と。カメラを見つめていると、そんな気がしたんですよ。

 

 

――カメラを見つめていて。なるほど。

 

武藤 だって、今のカメラなんてすごいし。映るじゃないですか。

 

――は、はい、映りますねぇ……。

 

武藤 機械を使うことによって、自分ができないことができるようになるのなら、文明というのは本当に素晴らしいな、と。

 

――バイト代を貯めて買った最初のカメラは、さぞ愛着が湧いたでしょうね。

 

武藤 いや、カメラは「いいな」と思って買って、最終的に「ダメだ」となるものなんです。それはもう、ガンダムと一緒です。

 

――ガンダムと……?

 

 

武藤 初めてガンダムに乗っても、マニュアル見ながら戦えて、相手を打ち負かしちゃったりできる訳です。それはカメラも最初はハイスペックで「こりゃすごい」と何でも撮れちゃうのと一緒ですね。ところが使い慣れてくると、人間の表現の要求に機械が応えてくれない気がしてくる。人間が上達すると、機械のほうが追いついてこない感じがするんですね。そこで、よりハイスペックなカメラなら、もっと良い表現ができるような気がする……。人間の進化とマシンの進化がイタチごっこな感じで、思わずガンダムが出てきちゃったんです。カメラの性能の違いが、写真表現の決定的な差ではないんですけどね。

 

――ええと……大変さが、少しわかった気がします。買い換えてきたカメラの台数、数えきれます?

 

武藤 数えきれません(即答)。いろいろを経て、今はSONYです。音楽の仕事をするので、シャッター音のしないセンサーの大きいカメラをSONYが出したところから、一気にSONY製品にしました。これは今使っているサブのカメラです。

 

武藤さんがサブ機として愛用中のソニーのミラーレスカメラα6500

 

 

■楽器のカタログ撮影からのスタート

 

――大学を卒業されてからは、どのようにお仕事の世界へ?

 

武藤 大学3年のころから、今でいうインターンのような形で、ヤマハのカタログ写真を撮る会社に出入りするようになりました。来る日も来る日も、ヤマハの楽器を磨く毎日でしたね。僕は電子楽器が好きなので、楽しかった。当時はDX7があって、MIDIが新しい技術だった。卒業後はその会社に入り、クライアントであるヤマハのカタログ撮影を続けました。一週間、徹夜で頑張ることもありましたよ。

 

――早くも音楽とのつながりがスタートしていたのですね!

 

武藤 そんなある日、新しいカタログが出来上がったので見ましたら、中のページは全部僕らが撮影したものでした。でも……。

 

――でも?

 

 

武藤 表紙はブーニンだったんです。僕らが撮ったものではない、ブーニンの華やかな写真。

 

 そのときに思っちゃったんですね。僕がやりたいのは、こっちだ、と。中のページの撮影でどんなにお金をもらっても、自分が仕事として本当にやりたいのは、こっち(表紙)側だ、と。でも、だからといって、どうしたらそちら側の仕事に回れるのか、想像がつかなかった。

 

――どうしたんですか?

 

武藤 とりあえず会社やめました!

 

 

 

■師匠・白鳥真太郎氏との出会い

 

――潔いですね!

 

武藤 「カメラマンになりましたから!」 と言ったって、だれも仕事なんてくれません。どうしたら表紙の仕事がもらえるのか、見当もつかなかった。それで、師匠・白鳥真太郎の門を叩きました。まだ会社にいた頃、APA日本広告写真家協会の展覧会で、白鳥師匠の対談を聞いて感激しましてね、勉強するなら、こういう人のもとで学びたいと思っていたんです。師匠はコマーシャルフォトの第一線で活躍してきた人。としまえんや、ラフォーレ原宿や、トヨタ自動車などを手がけています。なんのツテもなかったので、突然訪ねて「撮影を勉強させてください」とお願いしました。こころよく「いいよ」と言ってくださって、アシスタントとして師匠のもとで働かせてもらえることになったんです。

 

 

――すごいことですね……当時おいくつでしたか?

 

武藤 30になる頃ですね。当時は人生どうしていいかわからなかったですから……今ならできない(笑)。それにしても、師匠のやっている仕事はデカすぎた。電通や博報堂とやり合う仕事ですからね。世界中、随分いろんなところに撮影で連れて行ってもらい、いろんなことを教えてもらいました。

 

――師匠のもとには何年いらしたんですか?

 

武藤 5年です。人生で最高に素晴らしい、なんの不満もない5年間。しょっちゅう怒られてましたけど(笑)。でも、師匠の怒り方には愛がありましたね、理不尽な怒り方ではなくて。

 

 

――どんなことを教わりましたか? 師匠のもとでの一番の大きな学びは何でしたか?

 

武藤 撮影に対してのことと、生き方に対する全般的なことと、いろいろあるんですが、すべて、一つ一つが勉強でしたね。

 

 テクニカルなことで言えば、たとえば、カメラマンが自分の満足度に達するまで粘り、「もうちょっと! ほら!」なんて言いながら撮り続けると、撮られる側の人の心はだんだん離れていってしまうんです。「飽きられる前に終わらせる」。師匠から教わったことの一つです。

 

――生き方に対することでは?

 

武藤 自分で稼いだ金で、作品撮りをしろ、ということですね。人によっては、ちゃっかりとクライアントからいただいた仕事の中で、自分の作品のように撮ってしまうカメラマンがいる。でも、その仕事の作品はクライアントのためのものだから、「ついで」で自分の作品撮りをしちゃうのは、あまり良くない。自分が作品として伝えたいことは、ちゃんと仕切り直して、自分のお金でやりなさい、と白鳥師匠から教わりました。

 

師匠の白鳥真太郎氏やエリオット・アーウィットの写真集。

 

日本人形が好きな飯田さんは、武藤さんこだわりの
ドルフィー・ドリーム 初音ミク」さんにも興味津々。
衣装や髪の毛などのパーツの話にも花が開く。

 

 

(3)へ続く
(2017年9月17日公開)

 

 

 

 

 

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